VANGUARD
Elements of Style 息父と息子たちとの絆は、いつまでも固く、“時の先駆者”の存在価値も、つねに大きい。
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今日は、待ち望んでいた土曜日である。日曜日の夕方になると、月曜日の朝のことを考えて憂鬱になってしまう、という友人がいるが。彼女も、きっと、まだ土曜日の朝だ、と密かに微笑んでいる違いない。それにしても、3月の声を聞いて久しいのに、薪ストーブの温もりが嬉しい。

北西の方角から,山の斜面を一気に吹き下ろしてくる寒風は、この高原地帯の名物である。ゲレンデを目指して出かけるときは、もっと寒くなれ、と勝手に願っているが、吹き抜ける風の気配や、雪原のなかに立っている樹木は、季節も変わり目が近づいてきていることを感じさせる。

ガラス越しに、少しだけ残されている雪を眺めながら、温々とした部屋で、淹れたてのコーヒーと硬めの焼き菓子でブレイクである。イタリアを現地取材したドキュメンタリー番組で、イタリア人がコーヒーに浸しながらかじっている、あの焼き菓子。手軽だけど、お気に入りである。

コーヒーカップを持ち上げ、口に含み、浸した焼き菓子をかじり、また、コーヒーを含む。昨晩の、小さなホテルでの集まりが、会話の記憶とともに蘇ってくる。吟味された料理とワイン、旧知の顔見知りのおかげで、最上の時間が堪能できた。ホテルからの帰り道、火照った肌を切るような風が心地良く、まだまだ金曜日の夜であることに感謝しながら歩いた。

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二人の息子たちは、父親の意思を汲み取ってくれたのだろうか。言葉ではなく、互いのヴァンガードが語り合う。

美しく前衛的なスタイルと最新鋭のテクノロジーを備え、今後もトレンドをリードしていくことは間違いない。伝統的な技術を大切にしながら、革新を追い求め続けるフランク ミュラー ウォッチランドが手掛ける先進のモデルである。

ヴァンガードとは、“時の先駆者”である。フランク ミュラーの、「人生における時とは、道標のない大海原を航海するようなものである。だから、時を身につけ、自由な気持ちと、自らの意思を優先して欲しい」という言葉を実践するため、コンパス方位が文字盤の外周に沿って刻んである。

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FRANCK MULLER Story
トノウ カーベックスとビザン数字も、ブランド構築の背中を押した。
FRANCK MULLER Story 01

独立時計師として、個人的なアトリエを構えて腕時計を製作していたフランク ミュラーですが、いよいよ、ブランドとして事業を展開することが決まりました。ブランドの全面展開を開始し、1992年、初のコレクションとなる幾つかのモデルを著名な展示会に出展したのです。

展示会は、正式にはSalon International de la Haute Horlogerieという名称ですが、S.I.H.H.という略称で知られています。同じスイス国内で開催されるバーゼルフェアと肩を並べる格式の高い国際高級時計の催しとして世界に知られ、通称ジュネーブサロンと呼ばれます。

ジュネーブサロンには、その後、1997年まで出展を続けたフランク ミュラーですが、1998年、独自のフェア開催を決意しました。それが、第1回のW.P.H.H./World Presentation of Haute Horlogerieです。開催した場所は、シャトーの改修も完了し、時計工房としての施設も充実してきた、自らのフランク ミュラー ウォッチランドです。

「1998年は、とても大切な年です。自分の人生のなかでも、そして、ブランドにとっても、とても記憶に残る年で、ひとつのページを開いたという感慨がありました。ひとつのブランドが独立して、W.P.H.H.という場で展示できること、しかも4000人ものお客さまが、われわれのために集まって来てくれたことは、とても光栄なことです。これは、ごく一握りの成功したブランドだけにしかできないことです」

独自のフェアを開催してはどうか、というW.P.H.H.の計画が持ち上がったとき、フランク ミュラーは、正直なところ不安でした。単独で展示会を開催するのはリスクが高いのでは、という複雑な考えも交錯しました。

「イタリアのファッションデザイナーであるジャンニ ベルサーチが、やってみたらいいじゃないか、と背中を押してくれました。また、パートナーであるヴァルタン シルマケスも、もともと、怖いもの知らずの性格で、何でもやってみようというところがあります。ヴァルタンには、不安な気持ちになってしまうと、すべてのことが絶対に成功しない、という考えもありました。自分たちの目指している方向は正しい、という信念とともに実現に漕ぎ着けたので、結果的に成功しました」

振り返れば、W.P.H.H.という独自の展示会を開催し、自分たちの新作を自分たちだけで披露したことが、現在の成功につながっています。

ブランドの全面展開が開始されたのが、1992年。その後の10年間は、複雑機構を備えた腕時計に加え、現在のコレクションにつながる、一般の愛好家が普通に手にしていただける定番のラインナップを充実させました。

「複雑機構の腕時計には、世界初の機構も多く、とても大切なラインナップです。さらに、私がデザインウォッチと呼んでいる、親しみやすいモデルである定番のコレクションも、もちろん、とても重要な存在なのです」

時を同じくし、日本でも、フランク ミュラーという天才時計師の存在が知られ始めていました。日本の腕時計愛好家たちが、フランク ミュラーへの関心を寄せていくなか、世界に先駆け、日本でも、ブランドの全面展開が開始されることになり、積極的に紹介されていったのです。もちろん、日本で展開することは、フランク ミュラー自身も強く希望していました。

フランク ミュラーは、時を知り尽くし、数々の複雑な機構を発想していきます。しかも、時を魅力的に表現するための感性を備え、時を遊び尽くすこともできるのです。現代の天才時計師が、独力で達成することができたのは、“時の哲学”という、誰もが到達し得なかった独自の境地なのです。

FRANCK MULLER Story 02
CINTREE CURVEX