旅の思い出、自ら過ごした“過去の時”を表現する「カサブランカ」、
ルーレットを組み込み、止まった針が指し示す数字は運命ともいえる“偶然の時”を表現した「ヴェガス」、
浮かぶようなトゥールビヨンが重力からの解放を表現する「グラビティ」など、
話題作を次々と生み出してきた機械式時計の革命的ブランド
「フランク ミュラー」。
16年前に同ブランドのブランドムービーを手がけた
アートディレクターの森本千絵さんが今回、新作を完成させた。
クリエイションにおいて“哲学のあるストーリー”を大切にする森本さん。
フランク ミュラーに寄せる思いを明かしてくれた。
「1作目の動画をつくったのは2003年、博報堂に在籍していた頃です。当時は1週間に1本のペースで目まぐるしく広告を制作していたのですが、もっとじっくり時間をかけてつくりたいと感じていたタイミングで、当時の上司からフランク ミュラーの仕事を任されたんです。
それまではこんな高級時計を見たこともなかったのですが、複雑でゴージャスな機械式時計というものと、フランク ミュラーの時に対するユニークな考え方の虜になりました。文字盤に描かれた数字がまるで生き物みたいに思えてきて。
動画では時計という生き物を、動いている姿で表現したかった」
当初はキービジュアルを依頼されていたが、森本さんは「時計=動くもの」という考えを具現化すべく、映像でプレゼンテーションすることにした。
コマ撮りのアニメーションを制作するパートナーに選んだのは、エストニアのヌクフィルム。マイナス20度の極寒の地に飛び立った森本さんは、3カ月にわたって現地の鬼才アニメーターとコツコツ制作に没頭した。
その映像はフランスのカンヌ広告祭で上映され、スタンディングオベーションを受けるほど絶賛される。「独特の世界観の中に、時代に振り回されない一筋の光みたいなものが表現できた」と森本さんが振り返るこの作品は、その後の彼女の制作活動の原点となったのだ。
月日は過ぎ、森本さんは博報堂から独立。2007年に事務所goen°を立ち上げ、次々と話題作を世に送り出す。その後結婚、出産を経て、現在は4歳の娘の母となった。クリエイターとして、ひとりの女性として、時間に対する感覚はどのように変化したのだろうか。
「goen°を立ち上げてから、時間は3倍速になりました。全力を注ぐ仕事を同時に3本くらい進めているからかな。子どもができてからはさらに加速してます。娘を寝かせた後、夜中に自分の企画に取り組むこともありますが、5時間くらいは時間を忘れて没頭する。明け方になって子どものお弁当をつくる時間になってようやくまた時計を意識するようになる。時間はすべての人に対して同じ速さで進んでいるけれど、時のかたちというのは自分自身がつくるものだと思うんです」
前作から16年の歳月を経て、再びフランク ミュラーの動画を制作することになった今回は「ハート トゥ ハート」「クレイジー アワーズ」「ヴァンガード グラビティ スケルトン」「カラードリーム」の4製品をひとつの物語にまとめあげた。「前作は時計の数字が主役になっていたけれど、今回は青春のまっただなかにいる男女が数字にコントロールされて、時計の世界に迷い込んでしまう。最後には月も太陽も現れて、世界の色が変わるという物語です」
「日々の時間は単に経過してゆくだけのものではなく、その時やその場所、個々の気持ちのあり方や感じ方によって、いくつもの違うかたちがある」というフランク ミュラーの哲学に、森本さんは強く共感する。
「自分自身が変わる時、そこには哲学が存在します。この時計を着けると、自分の人生における時間の感覚と腕時計が刻む時間がセッションしているように感じられる。フランク ミュラーという魔法の世界に自分が生かされているような気になるんです」
時の概念そのものをデザインしたいと語る森本さん。目指すのは時代を経ても色あせず、ずっと受け継がれていくものを、商品に寄り添って世の中に提示すること。そんな彼女の考え方とフランク ミュラーの哲学は、16年の時を経てなお響きあっているのだ。
森本 千絵
アートディレクター
株式会社 goen°主宰。コミュニケーションディレクター・アートディレクター。 大学卒業後は博報堂へ入社、その後2007年株式会社 goen°を設立。企業広告をはじめ、松任谷由実、Mr.Children のアートワークやテレビ番組のポスターデザインほか、映画や舞台の美術、動物園や保育園の空間ディレクションなど活動は多岐に渡る。著書に10年『うたう作品集』(誠文堂新光社刊)、15年『アイデアが生まれる、一歩手前の大事な話』(サンマーク出版刊)、18年同書・中国版『想法誕生前最重要的事』がある。
photographs by Masato Moriyama(TRIVAL)
text by Junko Kubodera