FRANCK MULLER GENEVE
V A R T A N
S I R M A K E S
F O U N D E R

VARTAN SIRMAKES FOUNDER

創業者の1人として、1992年フランク ミュラーをブランドとしてスタートさせました。ご存知のようにパートナーは、フランク ミュラー、その人です。この時、際立った発想と丁寧な仕事による機械式腕時計の将来を、明確に見据えることができていました。フランクが、天才的な時計師であることを確信していたからです。ブランドとして起ち上げたとき、2人に共通していた認識は、斬新な腕時計を製作し続けていくことになる、という予感だけでした。

VARTAN SIRMAKES FOUNDER
Vartan Sirmakes - Founder
ウォッチランド周辺には、閑静なばかりか、スイスアルプスを望み、レマン湖を見下ろす絶景まである。

「デザインは、
絶対にアヴァンギャルドで、
複雑な機構も、
美しくなければいけません」

まず、日本、続いて、イタリアでした。スタートさせたばかりなのに、この2ヵ国が、すぐにブランドとしてのフランク ミュラーを歓迎してくれました。この2ヵ国には、独自の文化があります。なかでも日本の愛好家たちは、美しい文字盤を求めています。同時に、日本の愛好家たちは、コンプリケーションに強い関心をもっています。日本とイタリアで受け入れられたということは、自分たちで製作した腕時計が、まるで作品のように受け入れられていることを実感しました。やがて、日本とイタリアでの評価が広まると、アメリカ、ヨーロッパ、さらには、香港、シンガポールからも問い合わせが届くようになりました。フランク ミュラーの愛好家には、複雑な機構が好きなタイプ、そして、デザインが好きなタイプという、2 つの愛好家が存在しています。もちろん、どちらも好きだという愛好家の存在も理解しています。将来的には、デザインは、絶対にアヴァンギャルドでなければいけません。どんなに複雑な機構であっても、美しさを意識して製作しなければいけません。つまり、バランス感覚が大切です。このような感覚には、フランクはもちろんですが、ウォッチランドに所属する全員の情熱と知恵で応えていくつもりです。

「閑静なウォッチランドだから、
腕時計製作に集中することができ、
複雑な機構も、アイディアも、
愛好家からの期待にも応えられます」

フランク ミュラーのモデルは、バリエーションが多い、と言われます。このことは、製作するためのシステムを工夫し、たとえば、カラーバリエーションを増やし、愛好家の方に、もう1本欲しい、という気持ちをもってもらいたいと考えているからです。トータルの製作本数を少なくし、広告宣伝ばかりに注力するという考え方は好きではありません。できるだけ、豊富なバリエーションで魅せ、広告宣伝には頼りたくないのです。ただ、そのための努力が必要です。まず、ウォッチランドのあるジュネーブ近郊は、とても静かなエリアで、腕時計製作に集中することができます。だから、バリエーションで魅せることも確実に実現できます。ウォッチランドが、東京とか、ロンドンとか、ミラノにあるとすれば、膨大な交通量に直面し、コンサートや劇場などからの誘惑も多く、腕時計製作には集中できません。閑静なウォッチランドだから、愛好家から依頼された超複雑なマスターバンカーも、遊び心に溢れたクレイジー アワーズも、夢で終わることなく実現できました。