FRANCK MULLER Experience
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Franck Muller celebrates our 30th anniversary.

フランク ミュラーは、2022年、とても大切な年を迎えています。それは、時計師になることを決意して45年、自分自身のブランドを創設して30年という節目の年だからです。

実は、一人の人間としてのフランク ミュラーの思い、さらには、ブランドとしてのフランク ミュラーの思いについて、過去に、それぞれの立場から語ってくれたことがあります。

「ブランドとしてのフランク ミュラーは、おかげさまで、世界的に知られています。もし、自分の名前をブランドとして使っていなければ、おそらくですが、まったく違った人生になっていたことでしょう。しかし、フランク ミュラーといえば、“ブランド=私自身”で間違いありません。元気に活躍している自分自身であり、一個人である自分自身でもあります」

一般的には、“ブランド=フランク ミュラー”、と見られています。ただ、フランク ミュラー自身からすると不思議であり、掴みどころのない状況でもあるようです。ブランドを立ち上げてから、自分が自分自身ではなくなってしまったような感覚でもある、と語ってくれました。

「ブランドとは、ある側面からすればメゾンだと思います。メゾンというのは、自分がいなくなっても、自分が持っているノウハウを後世に継承していくものです。たとえば、腕時計であれば、こういうデザインで、こんな文字盤のカラーがアイデンティティであると定めます。このような要素をメゾンは継承し続け、次世代にまでブランドが生き続けるわけです」

「私がいなくなっても、技術やデザインは継承され、私のノウハウは、次の世代へと遺されていきます。そして、そのことを外から見ている自分がいるとすると、ある種のギャップというか、奇妙なズレのような感じがあります。自分からすれば、このことをすんなり受け入れるのは、とても難しいことでした。言葉を変えれば、自分自身を理解することが難しかったのだと思います」

もちろん、フランク ミュラーという名前を変えることはできません。ブランドを立ち上げるとき、別のネーミングにしていれば、このような複雑な心境にはならなかったでしょう。しかし、フランク ミュラーは、これからも、“ブランド=私自身”として過ごすわけですから、自分の生涯を通してやり遂げる覚悟があります。

「さまざまな苦悩があるかもしれませんけど、途中で止めるわけにはいきません。今では、ブランドを外側から客観的に見ることができています。“ブランド=メゾン”であるとも考えています」

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「子どもが、まだ、幼い頃には、いろいろなことを教えなければいけません。それでも、成長し、成人になれば独立していきますが、この事実も、受け止めなければいけません」

フランク ミュラーも、自分自身の人生で後悔していることなど何もなく、現在の自分こそが人生そのものである、と明確に確信しているということです。

「最後にお伝えしたいのは、自分自身にとっても、また、ブランドにとっても、大切な節目となったのは、1992年、東京の青山にブティックができたことです。ちょうど、S.I.H.H./Salon International de la Haute Horlogerieという展示会でのデビューと同時期です。ブランドとしては、まだ、1本の腕時計も販売していませんでした。そんな最初期でしたが、世界に先駆けてブティックを開設したのは、東京でした。おかげで、このタイミングで、ブランドの躍進が始まったのです。ですから、節目という意味では、東京でのブティック開設が、かなり大切なポイントです。私たちが、日本への想いを熱くするのは、このような事実も影響しています」

その後、1998年、フランク ミュラーは、独自のフェア開催を決意。それが、第1回のW.P.H.H./World Presentation of Haute Horlogerieです。開催場所は、シャトーの改修も完了し、時計工房としての施設が充実してきた、自らのフランク ミュラー ウォッチランドです。

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右)950S6 LONG ISLAND
左)900S6REDCARPETFO LONG ISLAND RED CARPET

フランク ミュラーのロングアイランドは、アメリカ東海岸、大西洋側に浮かぶ大きな島、ロングアイランドからインスピレーションを得て誕生しています。世界各地を巡り、展示会や愛好家とのパーティを開催していた頃、あるニューヨーカーの時計コレクターが、ロングアイランドに所有する別荘に招待してくれました。島へ向かう時、大きくて旧い橋を通過し、とても印象に残りました。ロングアイランドは、また、アメリカを代表する作家であるF スコット フィッツジェラルドが、この島を舞台に豪華絢爛な饗宴を繰り広げる上流階級の世界を小説『グレート ギャツビー』で描き、後に『華麗なるギャツビー』というタイトルで映画化されたことでも知られています。フランク ミュラーは、大きくて旧い橋、島の優雅な雰囲気が溢れた暮らしに巡り会い、新作腕時計のインスピレーションを得たのです。それは、20世紀初頭、1910年から1925年頃のアール デコ様式を採り入れ、湾曲させた小振りなレクタンギュラーのフォルムで、クラシカルな雰囲気が漂う文字盤に結実しました。ロングアイランドのように、フランク ミュラーの着想を腕時計として製品化する場合には、技術者、素材、道具、工作機械などが完璧に揃ったフランク ミュラー ウォッチランドのような存在が、新作登場をサポートするために重要なのです。

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LONG ISLAND   MONOPUSHER CHRONOGRAPH

MONOPUSHER CHRONOGRAPH/モノプッシャー クロノグラフを搭載したロングアイランドは、通常のクロノグラフウォッチとは一線を画した特殊な機構を装備しています。このモノプッシャーと呼ぶ機構は、時刻合わせのために用意されている3時位置にあるリュウズの軸内に、クロノグラフを操作する2つのプッシュボタンを統合しているのです。このリュウズの軸内に内装した二重構造のプッシュボタンを操作することにより、クロノグラフのための、スタート、ストップ、リセットという一連の動作、および、ゼンマイの巻上げと時刻合わせまでの、5種類の操作を1つのリュウズに集約し、完結させているのです。実は、モノプッシャーの歴史は、腕時計よりも旧く、ポケットウォッチ時代のクロノグラフでは、ごく一般的な方式でもありました。理由は、片手でポケットウォッチを保持しながら、保持した片手の親指一本で、すべての操作が可能だったからです。ただ、モノプッシャー クロノグラフは、複雑で緻密な構造が求められ、高レベルの技術がなければ完成させることはできません。フランク ミュラーは、武骨なクロノグラフボタンを1つのリュウズに集約し、整理することで、流麗なロングアイランドのスタイルを際立たせることに成功しています。

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FRANCK MULLER GENEVE