カラードリーム
ロングアイランド

夕焼けが、綺麗な、心地よいフィナーレで堪能させてくれる。日没が過ぎ、残光が残る時間帯。優しさが満ちた光のなかで、壮大なマジック アワーが、遙か滑走路の向こうをドラマチックに彩っている。言葉を失ってしまうほどのタイミングには、そう何度も遭遇できるものではないが、でも、出遭ってしまった。

あまりの迫力に、気になって調べてみる。素晴らしいマジック アワーを狙っている、あるカメラマンのページがあった。マジック アワーは、日の入りだけではなく、日の出でも出現するらしい。しかも、ゴールデン アワー、ブルー アワーの両方がある。太陽と、地平線や水平線との位置関係に影響されるのだ。

マジック アワーは、必ず、空が真っ赤に染まるとは限っていない。見上げた空が、全体的にオレンジ色に染まっていると、ゴールデン アワーと呼び、紫色からブルーという美しいグラデーションを見せてくれるのが、ブルー アワーということらしい。理屈はともかく、素晴らしい体験であることは間違いない。

眺めている風景との交わり方も、迫力に影響するという。都会の高層ビルやタワーの周辺、海辺のビーチや島影が広がる空などはもちろんだが、機上のガラス越しにというのも格別だ。機上では、移動スピードが速いから、太陽を追いかけるフライト、太陽から離れるフライト、それぞれの趣が、まったく異なる。

二人のために用意したロングアイランド マジック カラーは、カラフルな愛機の機体に寄り添い、その華麗なる輝きは、マジック アワーを彷彿させる。

カラードリーム
カラードリーム
カラードリーム

ロングアイランド マジック カラーは、最高に輝ける瞬間を永遠にという願いを込め、フランク ミュラー独自の色彩感覚で文字盤を演出したモデルである。

2020年、誕生20周年を迎えたロングアイランドには、まるで小説や映画の主人公のような、華麗なる物語がある。この物語は、ニューヨーク滞在中であったフランク ミュラーが、喧噪のマンハッタンから、旧くて大きな橋を通過し、ロングアイランドで開催される自身の展示会に向かっていたときに始まる。

やがて、映画『ギャツビー』の世界に紛れ込んだような雰囲気に溢れ、広大な敷地を背景にした屋敷が建ち並ぶエリアに到着。印象的な橋のデザインや構造がスイッチとなり、華麗なロングアイランドに巡り会ったフランク ミュラーは、そこで、彼らしい腕時計のインスピレーションを浮かび上がらせたのである。それは、20世紀初頭に栄えたアール デコ様式であり、湾曲させた小振りなレクタンギュラーで、クラシカルな文字盤のロングアイランドとして結実したのだ。

ロングアイランドの特徴である、文字盤いっぱいに描かれているビザン数字。マジック カラーでは、カラードリームをさらに進化させ、このビザン数字にカラフルなプレシャス ストーンを散りばめ、華やかな印象の文字盤で魅せてくれる。ちょうど、太陽が沈む頃、夜の帳が下りる直前、残光に美しく照らされる神秘的な一瞬として知られる、あのマジック アワーの瞬間を再現している。

Special Thanks : Japan Aviation Academy

FRANCK MULLER Story “時の哲学”を授かった背景には、まず、閃きがあり、究極の技と叡知がある。
いよいよ2022年、フランク ミュラーは大切な節目を迎える。
FRANCK MULLER Story 01

フランク ミュラーは、2022年、ブランドを創設し、30周年となります。

もちろん、ここまでの30年間という輝かしい実績の背景には、『フランク ミュラー ウォッチランド』の存在があり、そこで活動する時計師など、おおぜいのスタッフが支えてきたおかげです。もちろん、とても素晴らしい才能や技術を持った時計師が、自身のブランドを起業することは、そんなに珍しい話しではありません。ところが、これほどまでに大胆で、ユニークで、大規模な時計を製作するための体制を築くことができたのは、フランク ミュラーただ一人です。

繰り返しになりますが、フランク ミュラーは、『フランク ミュラー ウォッチランド』建設を目前に控え、時計製作の体制を築く意気込みを語っています。

「ディズニー映画の『ライオン キング』と、その動物の世界を描いた映画のためのテーマ曲から発想したのが、『フランク ミュラー ウォッチランド』です。作曲を担当したエルトン ジョンが、私の知り合いだったからです。ブランドとしてスタートした当時、スイスを代表する老舗の時計ブランドのなかにあって、誕生したばかりのブランドが頑張っていくことができるよう、また、誰でも、子どもたちでも訪ねてくることができて、一周すれば、どのように時計がつくられるのか分かるような、アミューズメントパークを創りたかったのです」

彼にとっての『フランク ミュラー ウォッチランド』は、ただ時計を製作するための場ではなく、自分自身の夢を実現するための場であり、時計づくりに注ぎ込むのと同じぐらい、情熱を傾けた存在だったのではないでしょうか。言葉を換えれば、『フランク ミュラー ウォッチランド』は、まさに彼の作品なのです。

もし、『フランク ミュラー ウォッチランド』を訪ね、工房のいろいろを見学する機会に恵まれたとしたら、まず、スタートすることになるのは、おそらく、デザイン スタジオからです。

『フランク ミュラー ウォッチランド』の中心的な建物が、1900年代初頭に貴族が建てたと伝えられているシャトーです。ちょうど、1995年、シャトーを本拠地として、この地を『フランク ミュラー ウォッチランド』と定めたのですが、そのときから、フランク ミュラーの時計デザインは、このシャトーのなかに設けられたデザイン スタジオで行われています。

デザイン スタジオは、『フランク ミュラー ウォッチランド』と外の世界とを結びつける架け橋のような存在です。つまり、フランク ミュラーのもとで、デザイナーたちは、時計愛好家が欲しいと思っている製品や機構を慎重に分析し、時計師や技術者たちとも綿密なミーティングを重ね、ブランドイメージにふさわしい新機軸を提案するために徹底して準備をするからです。

彼らの使命は、最高の品質と革新的なアイディアを、さまざまなスタイルや技術で表現し、時計愛好家たちを驚かせるような製品のデザインや機構を発信し続けることです。もちろん、そう簡単ではありません。ご想像の通り、これは1人のデザイナーでできるレベルの仕事ではないからです。新製品を開発するためのミーティングで提案された、膨大な数のアイデアや技術的な制約をすり合わせ、慎重に作業を進めていきます。ちょっと意外なのですが、この作業は、決して形式ばってはいません。それぞれの分野のスペシャリストたちが、誰ともなく代表者のデスク周辺に集まり、夕方の場合が多いのですが、自由に意見を交わしているのです。

このような『フランク ミュラー ウォッチランド』のスペシャリストたちによる密接な連携プレイと活動が、あの魅力的な、目を見張るようなニューモデル誕生へと結びついています。

FRANCK MULLER Story 02
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