The Time for Two これからも二人のために、時を刻むフランク ミュラー
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海辺に佇むのは、老舗のイタリアンである。遠慮なく吹きつける潮風や、これでもかと容赦なく降りそそぐ太陽のせいで、壁のペイントは少し剥げてはいるが、店では、昼時も、夕暮れ時も、もちろん、夜が遅く更けても、ゲストの笑顔が絶えない。

このイタリアンは、押し寄せる波に洗われ続ける岩肌を見おろす、絶好のロケーションにある。海を愛するがゆえに周辺に暮らす人たちにはもちろん、はるばる海の香りを求めて遠方からやって来る人たちも、寛いだ居心地の良さを感じることができる。

広げた両腕の間には、水平線が湾曲していることを証明するような大海原が広がり、選び抜かれたオリーブオイルやワインなどとともに、絶妙な調味料となっている。おかげで、いつしか老舗と呼ばれ、すっかり海辺の風景に溶け込んですらいる。

よく晴れてはいるが、風の強いこの日も、吹きさらしのバルコニーに、いつもの二人はいる。洗いざらしのシャツを羽織っているところも、素足に履いたデッキシューズもこの二人のライフスタイルには、絶対に欠かせない存在である。欠かせない存在といえば、タップリの陽射しを浴びた二人の腕には、醸し出す雰囲気までもが親密な、大切な節目を記念したという、フランク ミュラーのトノウ カーベックスが収まっている。

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トノウ カーベックス

トノウ カーベックスに始まり、トノウ カーベックスに終わる。熱烈な愛好家たちほど、誇らしげに語ります。だから、ペアウォッチとしての存在感も、際だっています。

フランク ミュラーが、独立時計師の時代に創出したトノウ カーベックス。やがて、ブランドを創設した後も、ともに25年以上も歩んできました。世界初のフォルムは、球体から切り出されたような3次元曲線で構成され、平面的なトノウ型のケースとは、まったく異なる立体的なフォルムで、やはり、ブランドとしてのアイコンでもあるビザン数字とともに、これまでも、これからも、腕時計愛好家たちを魅了し続けていくでしょう。

FRANCK MULLER Story
スイス、ジュネーブ、近郊、ジャントゥで、機械式腕時計を製作する意義。
FRANCK MULLER Story 01
FRANCK MULLER Story 02

フランク ミュラーのすべての腕時計を製造している『フランク ミュラーウォッチランド』は、スイスのジュネーブ市街地からほど近い、ジャントゥと呼ばれる長閑な地区にあります。『フランク ミュラーウォッチランド』は、夢の溢れる腕時計工房です。

正面には雄大なモンブランを望み、レマン湖の静かな湖面を見下ろす丘陵地に展開される腕時計のワンダーランドには、もともと1900年代初頭に貴族が住居としていたというシャトーが建てられていました。

そこで、このシャトーの外観デザインを丁寧に踏襲した建物を何棟か増築し、建物を含む素晴らしい景観を維持しながら、新しい空間へと進化させています。ここでは、毎年、新作発表会『WPHH/World Presentation of Haute Horlogerie』が開催され、世界中の時計愛好家はもちろんのこと、誰も目を離すことができません。

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ウォルフガング ホネガーさんは、ジャントゥ地区の市長です。彼は、ジュネーブとその近郊の時計づくり、ジャントゥとウォッチランド、そして、フランク ミュラーについて、丁寧に、詳しく、しかも、満足そうに語り聞かせてくれました。

ジュネーブはもちろん、その近郊は、時計づくりの街として、世界中で知られています。なぜ、ジュネーブは時計の街として発展してきたのでしょうか。ジュネーブと時計との歴史的な関係は、実に16世紀まで遡ることができるということです。

その当時、フランスのカルヴァン派プロテスタントであったユグノーと呼ばれる人たちが、弾圧と迫害により、カルヴァン派の拠点であったジュネーブに移ってきました。彼らは、時計づくりなど、精密機械をつくるノウハウも持ち込んだのです。

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では、ジュネーブの時計づくりは、どのようにして、今日のような一大産業として発展していくことができたのでしょうか。もともと、ジュネーブでは、彫金などの宝飾細工が盛んでした。宝飾細工はもちろんのこと、時計づくりなども、マニュファクチュアと呼ばれる精密で細かな工場制手工業です。

この工場制手工業を産業として大きく発展させるためには、莫大な資金が必要でした。そこで、資金を確保するためのプライベートバンクが設立され、その結果、世界各国からジュネーブに資金が集まるようになり、精密産業の発展とともに銀行業も発展していきました。だから、ジュネーブは、銀行の街としても知られているのです。

Commune De Genthod Wolfgang Honegger Mair
ジャントゥ地区・市長 ウォルフガング ホネガー氏のインタビューより

(さらに、次回へ続きます)

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