The Time for Two
CASABLANCA
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憧れに近い感情を抱きつつ、スクリーンに気持ちが入っていく。主人公たちの、さり気なく洒落た着こなし、立ち居振る舞い、タイミングよく発せられるセリフに、揺さぶられる。背景となっている舞台も、当然、気になる。

『カサブランカ』という、1940年代に初公開された映画に初めて触れたとき、懐かしい感覚に襲われてしまったのは、なぜだろう。モノクロームのスクリーンにもかかわらず、舞台となったモロッコのカサブランカが、蘇る。

アメリカのフィルム団体が、ほぼ1年ごとのペースで発表し続けているランキングによると、映画そのものの評価が高いばかりか、主演の二人が交わす決め台詞までが、つねに忘れがたい台詞のベスト上位にランクされている。

よく知られている、「君の瞳に乾杯」という、主人公が絶妙なタイミングで何回か語りかける台詞は、肝心のストーリーよりも有名になってしまっているが、オリジナルは、「Here's looking at you, kid.」であり、瞳はもちろんのこと、乾杯という言葉も入っていないところが、とても興味深い。

ただ、この映画の舞台となったアフリカへの強い憧憬が、現代の天才時計師の心情を鷲づかみにしたことは事実らしく、おかげで、エキゾチックなモデルが誕生したのだという。記念すべき旅の想い出とともに、親密な二人の腕で、フランク ミュラーのカサブランカが灼熱の旅を記憶してくれている。

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カサブランカ

アフリカへの強い憧憬は、あの名画に掻き立てられたものだという。舞台であるモロッコの都市や登場人物から、発想したモデル。二人の、旅の熱い想い出とともに、手にしたい。

フランク ミュラー初の、ステンレススティール モデルです。かつてのヨーロッパでは、アフリカなどへヴァカンスに出かけるとき、ゴールドのケースよりも傷がつきにくく、たとえば、サハラ砂漠の砂塵からもメカニズムを保護してくれる、当時の最先端素材ステンレススティール製ケースを選ぶことが粋である、とも言われ、もてはやされた時代だったと語り継がれている。また、真っ暗な夜道でも蓄光塗料を採用した文字盤から時刻を読み取り、丈夫なカーフストラップはアフリカの酷暑にも負けない耐久性を備えています。文字盤も、敢えて、紫外線から護るための処理加工を止め、使い込むほどに風合いのあるエイジングを楽しむこともできます。

FRANCK MULLER Story
スイス、ジュネーブ、近郊、ジャントゥで、機械式腕時計を製作する意義。
FRANCK MULLER Story 01
FRANCK MULLER Story 02

なぜ、ジュネーブが、時計づくりの街として発展していったのか。なぜ、『フランク ミュラー ウォッチランド』は、スイスのジュネーブ中心部からもほど近い、ジャントゥと呼ばれる長閑な地区にあるのか。

詳しく、教えてくれたのは、ウォルフガング ホネガーさん。彼は、ジャントゥ地区の市長です。普段は、とても物静かな紳士ですが、ジャントゥやジュネーブの街のこと、そして、時計づくりのことを話し始めると、お話しも面白く、とても熱心で、饒舌になってしまいます。

スイスは、時計ばかりか、モノ造りの国と言われています。なぜなのか、訊ねました。それは、昔から最高のモノ造りを目指すという伝統が、スイスにはあり、そのために、特別な研修制度が設けられているのだそうです。

通常の学校教育を終えた後、時計、宝飾、ホテル、料理など、いろいろな分野の専門学校に進学する研修制度だそうです。専門学校では、それぞれの分野を専業とする企業に出向し、研修生として働きながら実技を学びます。通常の学校教育では文字から知識を学び、専門学校では実践として現場で研修を受け、3年から4年間、具体的なノウハウを身につけるのだそうです。このようにして人材を育てるのが、スイス流なのだそうです。

『フランク ミュラー ウォッチランド』があるジャントゥは、興味深い歴史があり、かつてブルジュアと呼ばれた裕福な人々が、ジュネーブからレマン湖を渡り、移り住んだ場所なのだそうです。

ジャントゥは、レマン湖に接し、ジュネーブよりも静かで景観も素晴らしい地域です。陸続きの部分は、かつてフランス領に囲まれていたため、ジュネーブとは船で往来。ジュネーブから移ってきた人たちは、シャトーと呼ぶ大きな城館を建て、暮らしていたそうです。

ジュネーブから移り住んできた人々は、自然を愛し、とても自然を大切にしていたので、木を1本切れば、必ず1本植えなければいけないというルールをつくり、現在でも守り続けていると聞きました。フランク ミュラーも、腕時計づくりに集中するため、長閑なジャントゥが気に入り、この地をウォッチランドと定めたのです。

FRANCK MULLER Story 03
FRANCK MULLER Story 04
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ジュネーブと、その近郊では、多くの時計ブランドが稼働していますが、ジャントゥにウォッチランドを創り上げ、本拠地としたのは、フランク ミュラーだけです。

「スイスの時計は、単に時間を知るためだけの道具ではありません。美と正確さがマッチし、それを身につけるということも誇りなのです。ジュネーブとともに、ジャントゥを世界中にアッピールしてくれた天才時計師フランク ミュラーは、我らがジャントゥにとっても重要な人物ですし、もちろん、おおきな誇りでもあります」

ジャントゥ地区についてはもちろんのこと、ジュネーブやその近郊の時計づくりについてまで、丁寧に語ってくれたホネガーさん。フランク ミュラー自身のことも、ウォッチランドのことも、とても詳しく、驚かされました。

Commune De Genthod Wolfgang Honegger Mair
ジャントゥ地区・市長 ウォルフガング ホネガー氏のインタビューより
CINTREE CURVEX