The Time for Two 二人には、いつもフランク ミュラーだけの輝きがある。
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早起きしてしまったのは、到着して2日目の朝。高原の住宅は、まだ朝霧に包まれたままであった。秋から冬へ向け、霧がかかる朝が続き、少しだけ神妙な気分にさせてくれる。さて、霧が晴れる前に、朝食の準備だ。

朝霧が立ちこめると、その日は晴れになる。と、誰かから聞いた憶えがある。いろいろなものを、デッキに引っ張り出し、ドライにできる。その前に、都会で手に入れたコーヒー豆を挽き、紙のドリップで淹れる。麓のベーカリーで焼き上げたパンに、地元産のタマゴと高原野菜を添える。

予想通り、晴れ渡り、陽射しが心地よい。秋も深いのに、日焼けしてしまいそうだ。デッキばかりか、リビングのソファ辺りにまで、シッカリと濃い影が延びてきている。移動性高気圧に覆われ、よく晴れた日の夜は、地面から熱が奪われ、放射冷却が強まる。明日の朝も、霧かもしれない。

嬉しいことに、クラフトビールの醸造所は、歩いて行ける距離。天候も味方してくれたことでもあり、自慢の味を、自慢のソーセージとともに飲みくらべたい。周辺エリアにも、レベルの高い店は増えたが、ランチのプランは決まりだ。

週末のランチは、とても賑わっている。カウンターに陣取り、醸造所オーナーとの情報交換も、週末の高原住宅を有意義に過ごすための知恵である。さすが、無駄な情報は皆無だが、ただ残念なのは、彼が、お酒を嗜まないことである。

愛犬を交え、帰路を歩きながら、すでに二人の話題は夕餉からのメニューに飛んでいる。食べることばかりを意識してはいないが、食材と調理に執心していることは事実である。

二人で、腕にある愛機を一緒に眺めながら、思わず微笑むことがある。気が向くと、リュウズの中心部に組み込まれたプッシュボタンを押してみる。すると、文字盤の真ん中にある針が、凄い勢いで回転を始め、二人だけのルーレットを始めることができる。ちょっとした、運試しができるわけだ。

腕時計にも遊び心を求め、開花させた傑作かもしれない。時間という必然の世界にも、偶然の時間があることを伝え、時を知るためだけの道具から、腕時計を解放している。

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VEGAS

ヴェガス

まさか、腕時計でカジノ遊びをやっているなんて、誰も気づきません。ところが、フランク ミュラーは、意表を突く発想と複雑機構により、時を知るためだけの道具から、腕時計を解放しました。密かな遊び心は、二人だけの秘密にしておきましょう。

ヴェガスは、贅沢で、斬新な遊び心に溢れています。ラスベガスのカジノからインスピレーションを得たという腕時計は、1999年、世界初にして唯一のルーレット機能を搭載し、特許を取得。リュウズと同じ軸に組み込まれたプッシュボタンを押すと、文字盤中央のルーレット針が猛烈なスピードで回転を始め、プッシュボタンから手を離せば、瞬時にルーレット上の数字に針が止まります。時間のなかには、ある種のギャンブル性を感じさせる要素があります。この、正確さと予測不可能な偶然という相反する要素が織り成す絡み合いを具現化したのです。フランク ミュラーが創造する時を遊ぶ道具のなかでも、このヴェガスほど、時を知るための道具から解放した腕時計は存在しないのではないでしょうか。世界には、遊び心に長けた時計師は存在するかもしれませんが、ヴェガスという製品を創造してしまうほどの才覚の持ち主は、希な存在です。

FRANCK MULLER Story
天才時計師は、まだまだ、不屈の努力と知識を求め、追い続けます。
FRANCK MULLER Story 02

『ゴールドハンドを持った天才時計師、現る』と、スイスの新聞で大々的に取り上げられ、世界最大の時計・宝飾見本市であるバーゼルフェアでセンセーショナルにデビュー。1986年、フランク ミュラーは、初登場でしたが、瞬く間に時計愛好家の間で知られるところとなったのです。

「腕時計にトゥールビヨンを搭載したのは、世界初でした。知名度は上がりましたが、引き続き、愛好家の興味を惹きつけておきたいと考えました。腕時計では絶対に不可能であるという複雑な機構を搭載し、不可能ではないことを証明し、さらに世界初の新機構を製作し続けたのです」

フランク ミュラーの名で登録された特許は、50件以上にもなります。初登場のバーゼルフェア以来、トゥールビヨンを軸とし、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダーを加えた三大複雑機構を1本の腕時計に複数搭載し、さらには、トゥールビヨン以外の複雑機構を組み合わせたモデルなどまで、超のつく複雑時計を立て続けに発表していきました。しかも、初期に創作されたモデルは、いずれも多彩な複雑機構を独創的なスタイルで組み合わせた、世界初の腕時計ばかりで占められています。

1980年代後半のスイス時計産業を見渡してみても、これほど高度な複雑機構を備える腕時計を1人の時計師が考案し、手づくりで完成させた例は、まったく見当たりません。フランク ミュラー、ただ1人です。

この頃、事実上の共同経営者となるヴァルタン シルマケスとの出会いがあります。当時、フランクはムーブメントの専門家として、ヴァルタンは腕時計ケースの専門家として、フランク ミュラーという天才時計師の名を冠した腕時計ブランドを発進させるため、大きく動いていきます。

「初めて、ヴァルタン シルマケスが訪ねてきた頃、私自身は、多くのブランドから時計製作を依頼され、同時に、自分の時計も製作していましたから、とても多忙な日々でした。また、アイディアだけですが、自分のブランドを起ち上げる構想も描いていました。すでに、日本にブティックを開設する計画が進行し、それを足がかりにし、ブランド展開を考えていたのです。彼が訪ねてきたのは、ちょうど、そんなタイミングでした」

2人は、ブランドとしてのフランク ミュラーをプロモートするため、ベースとなる会社を興します。そして、現在のフランク ミュラー ウォッチランドのコアの建物となっているシャトーを共同で購入しました。

「フランク ミュラー ウォッチランドは、ディズニー映画の『ライオン キング』と、その動物の世界を描いたテーマ曲から発想しました。実は、作曲を担当したエルトン ジョンが、私の知り合いだったからです。ブランドとしてスタートした当時、スイスを代表する老舗の時計ブランドのなかにあって、まだまだ誕生したばかりのブランドが頑張っていくことができるよう、また、誰でも、子どもたちでも訪ねてくることができるような、開放的なフランク ミュラー ウォッチランドを創りたかったのです」

フランク ミュラーが手掛ける腕時計は、世界初にこだわった複雑機構を搭載し、主にメカニズムの面から注目されますが、彼の真価は、そればかりではありません。トノウ カーベックスという美しいケース、ビザン数字と呼ぶ特別なインデックスなど、アヴァンギャルドとも言える、まったく新しいデザインを創造し、高級腕時計の世界に一石を投じました。

フランク ミュラーは、現代の天才時計師と讃えられます。それは、不屈の努力と知識欲によって磨き上げた、究極の技と叡知があったからこそです。だから、“時の哲学”という独自の境地にも到達できたのです。

FRANCK MULLER Story 03
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