The Time for Two フランク・ミュラーだけの、贈り、贈られる喜びがある。
CINTREE CURVEX

アッという間に、夏が終わてしまう。少しづつだが、朝日が昇り始める時間も遅くなっていき、ベッドにいる時間も、長くなったような気がする。ましてや、このように雨が降り続く日だと、雨に洗われて空気が綺麗になるのに合わせ、こちらの気持ちも、落ち着きを取り戻す必要がある。

長かった休暇だが、最後の数日は、穏やかに、和やかに締めくくるため、趣味の着ものと小物たちを携え、この老舗旅館で過ごすことに決めていた。たっぷりと降り注いだ雨のおかげで、庭の木々も、苔も、鮮やかな緑となり、さらに心の落ち着きを取り戻すことができたような気がする。

それまでは、白いシャツとショーツだけで過ごす休暇であった。気温も高く、湿気もそれなりに感じる場所だったが、選んだホテルからは、とても大きな海を目の前に眺めることができた。もちろん、潮騒とともに眠りに就き、やはり、潮騒に起こされるという、かなり贅沢な休暇であった。

MASTER BANKER

贅沢な休暇が続いてはいたが、なにか締め括りが必要だと強く思った。それで決めたのが、風情と料理と、心地良いもてなしの老舗旅館である。そして、深く日焼けしてしまった肌をいたわるための、温泉も欲しかった。着る機会が減っていたが、好きな着ものを携えることも思いついた。

平常を取り戻しつつある街に戻ると、吹く風に、もう夏の匂いはしなくなっていた。気温だけは、想い出したように高めの日もあるが、長く、贅沢なバンカーの休暇も、いよいよ終わリを迎えたのだ。銀行家としての席に戻り、愛用のマスターバンカーをフルに活用するタイミングである。

CINTREE CURVEX

MASTER BANKER

マスター バンカー

使い手にとって、最高の存在となる腕時計。フランク ミュラーが、複雑な機構を採り入れ、使いやすくしたマスターバンカーは、二人の世界を演出するための画期的な存在。

世界各地の金融市場の現地時刻が、瞬時に読み取れる腕時計が欲しい。フランクミュラーの友人であり、銀行家からのひと言が発想を後押ししました、フランク ミュラーは、1996年、1個の自動巻きムーブメントで、世界3個所の異なるタイムゾーンの時刻を表示できる腕時計を製作。しかも、3個所の異なる時刻の調整や設定は、ボタンを使用せず、1本のリュウズのみで行うことができるという使いやすさも備え、この3タイムゾーン機構は特許を取得。やがて、マスターバンカーは、金融市場のビジネスマンばかりか、旅行者にとっても、優秀なトラベル ウォッチとして重宝されるのです。

FRANCK MULLER Story
アンティーク少年の情熱が、天才時計師への道を拓いたのです。
FRANCK MULLER Story 02

フランク ミュラーは、現代の天才時計師とも、ゴッドハンドの持ち主であるとも形容されますが、彼が手掛けているメカニズムからも、デザインからも、腕時計の世界に革命を起こした希代の才能の持ち主であることは間違いありません。けれども、フランク ミュラー自身は、才能は天から降ってきたわけではない、と語ってくれます。多いときは、1日18時間以上、ひたすら時計や機構と向き合い、努力を続けてきた結果だとも語っています。これほどまでの才能を備えていながら、改めて彼自身の言葉によって彼の想いを聞かされると、正直、身が引き締まる思いです。

ここでは、これまで語られてこなかったストーリーなども聞くことができました。そのひとつが、蚤の市のエピソードです。かなりの骨董好きの少年だったため、蚤の市では、すでにエキスパートとして一目置かれる存在でした。その頃、なんと12歳です。骨董を収集するだけが楽しみなのではなく、故障して動かなくなっている古い機械を修理しては、売りに出し、お小遣いを稼ぐ、という実利も兼ねていたようです。機械いじりが好きなのは、少年の頃からで、持って生まれた才能だったようです。

「アンティークでは、あらゆる芸術品、美術品に興味がありました。なかでも、機械類には、とても惹かれました。時計に限らず、計測機器など、アンティークの機械全般に好奇心を刺激されました。ジュネーブは、科学的な発明品が多く出た土地柄です。それらが骨董品となって、多く残っています。興味があれば、探せば探すほど、出会いのある街なのです」

このころ、時計修復師であった近所のおじさんに勧められて、ジュネーブの時計学校へ入学し、フランク ミュラーは水を得た魚のように活き活きとし、才能を開花させていくのです。近所のおじさんとは、ナタン シュムロビッチさん。アンティーク時計の修復をしていた方で、フランク ミュラーが、骨董品にとても関心があることを知っていたので、興味があるなら行ってみたら、とアドバイスしてくれたのです。当時、父親が経営する靴屋の前に、ナタンさんの時計修復工房があり、フランク ミュラーは、向かいにある工房で長い時間を過ごすことが多かったようです。ナタンさんはもちろんのことですが、フランク ミュラーのまわりには、骨董品関係の専門的な人が大勢いて、彼を支えてくれました。

ジュネーブの時計学校は、スイスでも指折りの時計学校で、伝統があり、200年ほどの歴史があります。スイスには多いのですが、いろいろな専門職を訓練する学校のひとつです。州立で、さらに連邦政府が運営する学校なので、さまざまな種類の修了資格はもちろん、州発行のものから連邦政府が発行するディプロマ、つまり卒業証明書も得ることができます。多彩なコースがあり、3年から5年のプログラムを選べますが、フランク ミュラー自身は、早く学んでしまいたい、という気持ちが強く、各教科の内容も興味深く、3年で終了できてしまったと語ってくれました。

現代の天才時計師と讃えられるフランク ミュラーでさえ、“時の哲学”という独自の境地に到達するためには、不屈の知識欲や努力によって磨き上げてきた、究極の技と叡知が大切なのかもしれません。

FRANCK MULLER Story 03

(さらに、次回へ続きます)

CINTREE CURVEX